東京・お茶の水は、いまや世界的に知られた「楽器の街」。初心者からプロフェッショナルまでの要望に応える有名店が軒を連ねる。なかでも有名なのがギター販売だ。近年はヴィンテージの希少な中古ギターが集まる市場として認知され、アジアからを中心にインバウンド客も数多く訪問。「TAX FREE(免税店)」の文字が大きく躍る。
石橋楽器店は、そんなお茶の水を中心に東京・横浜、名古屋、大阪、福岡に合計12拠点を構え、オリジナルブランド含む新品と中古の楽器販売、音楽教室などを展開する独立系の雄だ。1996年には業界に先駆けてオンラインショップをオープン。2011年には経済発展の著しい上海にも進出した。
ルーツは1938年、石橋清一会長(前社長)の先代である母が興した店であり、もともとは神田駿河台の古物商として始まった。戦後日本が経済成長を遂げるなか、次第に需要が増した楽器をメインで扱うようになる。60年代の日本はフォーク、ロック、GSがブームに。大学が多いお茶の水〜神保町エリアでは、楽器マーケットが一気に花開いた。
1973年に法人化。団塊ジュニア世代が生まれ育った70〜80年代は音楽教室などの需要も高まり、売り上げが拡大する。「同業者に対抗し、頑張ってボリュームを追った」と石橋会長は振り返る。
株式公開を検討した時期もあった。当時、バブル経済の崩壊で日本経済が踊り場を迎えてからも、3期続けて増収増益を果たしていたのだ。しかし、そこで経営に小さな「ほころび」が生じたのを見つけ、熟慮の末、上場を断念。合理的な経営体制を上場に向けて検討したことで、かえって身の丈にあった経営に踏みとどまることができた。
その後、社会環境が急速に変わるなか、販管費を圧縮する一方、融資を効率的に活用できる筋肉質な組織に生まれ変われたのは、ふたりのキーマンに代表される「現場の力」があってこそだ。
御茶ノ水駅前の「イシバシ楽器本店」(ブランド名はカナ表記)を訪れると、お客さんの試し弾きだろうか、見事なリフが耳に届く。
店頭で五十嵐勝則社長が出迎えてくれた。「ギターで重要なのは素材のスペックですよ」と言いながら、展示品のギターに貼られたQRコードをスマホで読み取り、詳細なデータベースにアクセスする様を披露してもらう。
五十嵐社長は新潟出身。高校2年の夏にバイト代を握りしめて向かった先が、深夜ラジオ「オールナイトニッポン」の広告で憧れたイシバシ楽器だった。その後、生まれて初めてアコースティックギターを買ったこの会社へ「新卒入社1期生」として就職。以来、営業畑を中心に歩み、半世紀を勤め上げる。「70〜80年代は高度経済成長期という外部要因で発展してきた楽器業界。人口減の時代は目先の売り上げを追うだけでなく、どのように稼ぐか。成長の内部要因を『考える会社』にならないといけない」。2016年9月、3代目の社長に就任。創業家外からのトップ就任は初となる。
同時に副社長も交代を果たした。武藤哲男副社長は、五十嵐社長のひと回り下。90年代初頭のバンドブームの頃に入社した。トランペットやベースの奏者だが、面接ではなぜか映画の話でウマがあう。配属先は店舗の売り場。「お客様に薦める楽器が売れていくのは、ただ楽しかった。でも、ロジックで売り上げを分析できることが重要だと次第に気づいた」。石橋楽器店はデータベース化の取り組みも進んでいて、会社全体の数字を個人で見られるようになったのは早かったという。社内で上場のプロジェクトが浮上したのを機に管理部門へ異動。経理や経営の知識を身につけるため、最初は簿記の学校にも通った。それから20年。金融機関とやり取りするため、会社になくてはならない存在となった。
このふたりを石橋会長が次の経営者と目したのは、実際に指名する数年以上前だ。
実は、前副社長である弟と若い頃に交わした約束がある。それは、お互いの子どもたちを会社の経営に交えないというものだ。幼い頃からまだ小規模だった母の店を兄弟で手伝ってきた。大学卒業と同時に家業に入った会長たちは、商売のやり甲斐と大変さを同時に味わってきたのだろう。「中小零細企業では親子間で会社を引き継ぐのがほとんど。それは現実的な手段であり、上手に承継できた会社はあるものの、そのやり方でうまくいかないケースも見てきた」と会長は言う。
一般的に事業承継で問題になる一つは、後継者難にある。石橋楽器店の場合は生え抜きの人材を育てられたため、この点はクリアしていた。今回、難しい課題だったのは、創業家が所有する株式の移転。名実ともに次の経営者へ事業が受け継がれるために、欠かせないステップだった。
社員へ株を渡すのにも、資金注入とそのための事業戦略が必要だ。複数の金融機関に相談していたが、最終的にはきらぼしグループが組んだ承継スキームを選んだ。決め手となった点はどこか。
石橋会長は、譲れなかった条件として「経営陣を入れ替えない」ことを挙げた。投資会社などの場合、企業価値を高めるためには経営への参加も辞さない場合がある。自分たちが自分たちであり続けるため、それは避けたかったのだ。これを失ったら「石橋楽器店ではなくなる」というものがあるとしたら。三人は口を揃えて「信頼」という語を口にした。
例えば、重要なのは「目利き」の力だ。ギブソン・レスポールやストラトキャスター。こうした500万円や1000万円の値がつく銘品が鑑定できて、的確に商品として扱える店。常連客は、この確かな信頼を求めて訪れる。そうした知見は無形の資産ではあるが、確実に会社の「価値」となっている。
社会情勢の変化にともない、自己変革を図ってきた楽器業界。現在の石橋楽器店では、高価格帯の中古ギターを扱いながら、新品のギターや他の楽器を店頭とオンラインで販売、どちらの数字も伸ばしている。
先のコロナ禍において、音楽は「不要不急」「なくて困らないもの」に挙げられた。しかし、武藤副社長は「東日本大震災のときと同様、非常事態宣言下に楽器を求める人は非常に多かった。音楽にそんな力があるのかもしれない」と振り返る。
「経営にとって数字は最重要。資金を循環させ、稼ぐ会社にするのは自分の使命。しかし数字だけ見ていたら、つまらない店づくりになる」と五十嵐社長。
イシバシ楽器の店頭に立つのは、音楽が好きで入った社員やスタッフたちだ。そこへ同じ価値観を持ったお客が集う。「私たちは、一人でも多くの人に、音楽に参加する楽しさを伝えたい」。これが、石橋楽器店のシンプルな企業理念である。無事に次代へ受け継がれたのは「会社が歩んだ歴史の重み」であり「楽器を奏でる文化」そのものだろう。
栗本博行氏
名古屋商科大学長/名商大ビジネススクール教授、事業承継学会常務理事
落合康裕氏
静岡県立大学経営情報学部教授/同大学院経営情報イノベーション研究科研究科長代理、事業承継学会常務理事
栗本氏:団塊世代すべてが後期高齢者となり、社会を支える働き手が消える「超高齢化社会の到来」が2025年問題と呼ばれるものです。事業承継も「後継者難」が取り沙汰されますが、実際は2025年までもたない会社が出てくると見ています。政府が進める「働き方改革」は、大企業寄りの価値基準に基づく改革。例えば、男性の育休取得の基準などを中小企業で取り組もうとすると、容易に現場が回らない事態になりかねません。
落合氏:最も危惧すべきなのは、バリューチェーンが成り立たなく可能性があることです。日本の中小企業は、経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報)の制約から企業間の取引関係を構築して顧客価値(顧客の問題解決)をはかっているケースがほとんどです。仮に、人材不足で廃業に追い込まれてしまうと、その影響は個社だけではなくバリューチェーン全体に及ぶことに留意が必要です。例えば、自動車業界では一台の車を作るのに、数百社の企業が関わっていることも珍しくはありません。仮に1割の企業が廃業になると他の9割の価値は残るというものではなく、1割の価値さえ提供できなくなる可能性もあります。
それだけではありません。バリューチェーンを構成する個々の企業しか提供し得ない技術もあります。日本の製造業は、このような見えざる資産(無形資産)を世代から世代へと継承し、競争優位の源泉としてきました。中小企業の事業承継の問題は、このような企業間の取引関係や見えざる資産の観点からも考える必要があるように思います。
栗本氏:人手不足により雇用が流動化することで、一つの企業で勤め上げる人が減ることも、事業承継の大きな課題になりえます。必然的に大きくなるのが創業家の役割。「こう経営すべき」という「アート思考」に基づくビジョンをしっかりと示すことが重要になるでしょう。創業者が長く勤め上げる中で、どこかで壁にぶち当たることもあると思いますから、リスキリング(学び直し)の機会も必要になります。
落合氏:創業家が経営に関与する意味は、長期的な経営へのコミットメントであると考えます。経営学者のヘンリー・ミンツバーグがいう経営の「アート思考」は経営ビジョンや創造性が必要なものであり、創業者のDNAを引き継いだ創業家一族が担いやすいといえます。
では、次世代を担う後継者をどう育てるのか。例えば、後継者に他社経験や戦略子会社経営者のような「越境経験」をさせることが有効です。「越境経験」では、先代世代が築き上げた見本例が利用できないため、後継者自身によって問題解決を図らねばならず、「アート思考」を養う絶好の機会となります。それを承継のプロセスの中で設計していけるかが、今後の事業承継の大きなポイントになるのではないでしょうか。
石橋楽器店さんと私たちには、1970年3月(東京都民銀行時代)から預金取引やご融資で53年の歴史があります。石橋楽器店の本社と私たちの神田中央支店が近く、地元のお祭りでは、それぞれの「提灯」が並ぶような近しい間柄です。
国内の音楽業界は、今後大きく規模が拡大する見込みがあるとは言えませんが、業界において「イシバシ楽器」は知名度のあるブランドを築いています。社会状況が苦しいなか、真面目に経費削減に取り組まれている。
私たちが企業の事業性を見るときには、数字に表れない部分を可視化するSWOT分析をしています。つまり、数字だけではなく「人」を見るということ。その会社の「未来」を見るには、対話して深掘りすることが大事です。
コロナ禍で一時的に業績が落ち込んでも、じきに回復するだろうという見立てがありました。現在、年間売り上げで100億円以上を維持されていて、これは私たちの予想を上回ります。
私たちのMF部がご相談を受けたのは、コロナ禍のただ中にあった2021年3月でした。創業家一族がオーナーである会社を、経営を十分にわかっている社長の五十嵐さん、副社長の武藤さんに承継したい。そのために、オーナーが保有する株式の引き継ぎをどのように進めれば良いだろうか、という内容です。
何千万、何億の責任を負うことになるので、通常はなかなか従業員が株の大部分を引き継ぐMBO(経営陣による自社株買収り)はできないものです。お互いに相当な覚悟が必要ですから、中小企業には同族企業が多いのです。ただし、国の方針を反映して諸制度が変わってきたので、時期的なタイミングも良かったのではないでしょうか。
こうした相談は税理士さんにするのが普通ですが、金額が大きくなるとファイナンスの専門家である私たち銀行の出番になります。しかも金融から税務、法務までをワンストップで任せていただけるのが、きらぼしグループの強みだと考えています。
私たちが今回ご提案した事業承継のスキーム(枠組み)は、新たに資産管理会社のSPC(特別目的会社)を設立して、オーナーである創業家から徐々に株式を買い取り、段階的に株を移管するというMBOの流れです。そのための資金として、これまで石橋楽器店がお付き合いのある各金融機関がご融資するシンジケートローン(一つの融資契約書に基づき、同一条件で複数の金融機関が融資を行う資金調達手法)の取りまとめも当行が行いました。
2021年3月に金融ストラクチャーの検討を開始。事業・財務・株式のデューデリジェンス(調査および評価)を行い、融資金額やスキームを固めていきました。その後、社外の調査員や弁護士に相談しながら、MF部は外部選定とスキームの具体化で伴走。通常は1年ほどかかるプロセスですが、財務資料の査定で副社長の武藤さんに多大なご協力いただいたこともあり、同年9月末には事業承継スキームがスタートできました。もともと上場を目指されていたので、社内の資料や体制がしっかりしていたのですね。
どんなに素晴らしい会社でも、長く安定して経営が続くと思える中小企業には、なかなか出会えないものです。今の世の中で100年続いている会社は、常に進化しています。経営陣が定期的に入れ替わることで、発想が「若い」のですね。
石橋楽器店さんの場合も、例えば会員データの活用などでDXには先進的に取り組まれていました。変化して成長するために必要な情報は、私たちきらぼしグループからも積極的にご提供したいです。
私たちは銀行ですので決算書を見ますが、石橋楽器店さんの決算書からは、五十嵐社長の真面目なお人柄が伝わってくるようです。
楽器店という存在は、音楽という文化のある限り、将来もなくならない業種だと思います。創業80年を迎えた石橋楽器店さんが、これから100年を超えるような企業として社会にあり続けるために、これからもご支援したいです。